小中学生時代の幼馴染の話(後編)

山崎監督の松本時代について、ゆかりのある人物にお話を伺っていくシリーズです。

第二回は山崎監督の小さいころからの幼馴染、原さんです。

前編はこちら

中学の文化祭で発表したという、8mm映画について教えてください。

本当の最初の最初のきっかけは、6年のころ、クラスでお楽しみ会があってそこで8mmで映画をとって上映しないか、って話が出たのがきっかけ。その時は没になった。
その後、中学に入ってから、クラスは違っても二人とも陸上で長距離をやって部活帰りは一緒に帰ってた。

2年ごろ山崎君が美術部に移った。3年になって、そこで8mmで映画作んないかって話がまたでてきた。
文化祭で発表したいと。文化祭は10月だったと思う。なので、撮影は夏休みメインにやってた。
その頃の文化祭って、中学なのに高校の文化祭みたいだった。
自分たちの展示の部屋を借りて個人的な展示などもあったりして。

その中の一つで、8mm映画の上映があった。監督が脚本も書いて音頭をとってた
10分ないくらいの映画で、ストーリーは
「地球に住めなくなって、違う星を探す」

何人くらいで作ったんですか?

10人くらいかな。監督のクラスと違うクラスから数名。
8mmの機械は私の叔父から借りました。
当時は映写機を持っている家もあったりして、文化祭の後は、8mmのフィルムはいろんな家にわたっていた。

中三の受験の時の夏休みなので、なかなか受験勉強せずにそんなことしてた
うまく宇宙船ができずに、けんかになったりしました。

お客さんの反応はどうでした?

文化祭期間中には自由時間てのがあって、その時はどこの展示を見に行っても良かった。
その時に8mm映画の部屋が黒山の人だかりだった。すごい人気でしたよ。
後に、職員会議で一か所に集まっちゃうのはいかがなものか、という意見が出たが担任がフォローしてかばってくれたと聞きました。

そういえば、子供時代に山崎監督に恋バナとかあったんですか?

小学校時代にどうもいたらしい…
中学校では付き合ってる人はいなかったんじゃないかなー

山崎君はとにかく本をよく読んでた。
いろんな分野で、それこそ雑誌「ムー」も読んでた。立ち読みとか。
中学の時に、部活帰りに話したのが、そのときすでにノストラダムスの大予言ってのがあってこの世がおわるって
と世間で話題になる1年前くらいに話してた。
新年度になって、もらう新しい教科書はすべて目を通してしまうそんな子でした。

原さん、ありがとうございました。