小中学生時代の幼馴染の話(前編)

山崎監督の松本時代について、ゆかりのある人物にお話を伺っていくシリーズです。

第二回は山崎監督の小さいころからの幼馴染、原さんです。

山崎監督とのご関係を教えてください。

山崎君とは、それこそ3,4歳のころからの付き合いです。
この辺昔は桑畑が多くて、その後ブドウ畑にかわってったんです。うちのブドウ畑が監督自宅のはす向かいにあった。
小さいころそこに畑仕事について行ってたら、同い年の山崎君がいたから、お宅にお邪魔したりして遊んでました。

同じクラスになったりしたんですか?

小中学校は一緒でした。5-6年生で同じクラスです。
保育園で、山崎君は浅間の方へ行った。小学校は最初は本郷村の本郷小学校だったけど、松本市と合併して清水小で5-6年で一緒のクラスになりました。

小さいころで一番覚えてることは何ですか?

ちょくちょくうちにも来ましたし、遊びにも行きました。
山崎君の家に行くとおもちゃがなかった。粘土とわら半紙があって、そういう素材があってそれで遊んでた。
覚えてるのは工作でも器用だったこと。小学校で切り絵でカミキリムシを細かく作ってた。細い足もリアルに作っていた。
監督のうちの庭でBBQしてキャンプしたり、そんなことしたり遊んでましたね。

小学校時代監督はどんな感じの子でしたか?

おとなしいけど、やると決めたら絶対やる。こだわりが強い感じの性格でした。
国語とか得意でしたけど文系かと思いきや、工作は得意で好きだったみたい。
凧あげのたこを作って飛ばしたり。畳一畳くらいの結構大きなたこを作った覚えがあります。

小学校で美ヶ原へは5年生で上るんでしたっけ

そうです。その時に旅行記を書くんですが、彼は原稿用紙50枚書いてました。
その厚さにビビった覚えがあります。当日の登山の様子だけでは足りないので、行くまでの様子を書いてとにかく沢山書きたかった見たいです。
それは製本されてなくて、本人しか持ってないはず。

小学校の先生の家に生徒だけで遊びに行ったことがあります。
社宅に単身でいたとこに、よく夕飯を食べに行った。そこでわいわいがやがや。
夏休みにその先生の実家の篠ノ井まで、遊びに行きました。確か先生が電車で連れてってくれた。
その後、山崎君が監督になってから、改めて先生を訪問しました。
三丁目の夕日一作目がヒットして、上映が延長されたお正月に監督と一緒に久しぶりに遊びに行きました。

後編へ続く