山崎監督の松本時代について、ゆかりのある人物にお話を伺っていくシリーズです。
第一回は山崎監督と高校時代に同窓だった、木下製印社の木下匡晃さんです。
前編はこちら
木下さんと山崎監督は、当時は仲が良かったんですか?
仲いいていうか、普通の同期だから、そんな感じでした。
縣陵祭のアニメ製作で仲良くなった。それまでは存在を知っていた程度。
山崎は紅茶が好きだったので、紅茶の喫茶店に漫研の連中といったかな。
今はもうないけど、六九商店街の川沿いにあった喫茶店、2階にあった。あそこは彼がお気に入りだった。ちょっと名前は忘れちゃった。
ちゃんと授業おわってから一緒に行ってました。サボってないですよ(笑)
何か他に高校時代の監督のエピソードとかありますか?
高3の縣陵祭の前夜祭で、バンドのボーカルやってました。QUEENだったと思う。
前夜祭は手を挙げた人が出てやれたんだ。QUEENかどうかは定かでないけど、洋楽だったのは確か。
当時は、SBCラジオで月曜の夜に洋楽専門の番組があった。そこに電話リクエスト結構入れてたり、土曜日に邦楽のベストテン番組、文化放送かな、そういうのみんな聞いてたから、影響受けてたんだね。
後は、ベストテンが松田聖子が松本城でやったのが高校二年のときかな。みんな松本城へ見に行ってたよ。
監督は薬師丸ひろ子さん好きですよね。
あの当時、薬師丸ひろ子はみんな好きだった、同い年だからってのもあったと思う。
『野性の証明』から出てきて、『セーラー服と機関銃』とか『探偵物語』とか。
高校時代にみた映画って薬師丸ひろ子が主演してるのが多かったと思う。
女優アイドルとしてはトップだったね。
そういえば映画研究会では映画作ってたんですか?
映画研究会でとれないから漫画研究会で撮ってたんじゃない?
でも、演技できるのは演劇部なんだよね。
高校卒業後は連絡とってたんでしょうか?
ショートショートフィルムフェスティバルを松本で開催するときに地元出身映画監督としてトークショーに呼びました。その時にずいぶんご無沙汰ぶりに連絡とった。2000年くらいかな。
(※2001年のようです:ショートショートフィルムフェスティバルアーカイブ)
うちのとなりがテナント入ってなくて、ショートショートの案内所にしてたんだけど、そこにきてトークショーしてもらった。
17年ぶり?それまで会ってなかった。今思えば図々しいお願いだった(笑)
木下さんありがとうございました。
実印・ゴム印・銀行員 はんこの事なら
有限会社木下製印社
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