高校3年生、漫画研究部でアニメを自主製作・上映したり…の話(前編)

山崎監督の松本時代について、ゆかりのある人物にお話を伺っていくシリーズです。

第一回は山崎監督と高校時代に同窓だった、木下製印社の木下匡晃さんです。

木下さん、自己紹介からお願いいたします。

木下匡晃です。
昭和38年5月14日生まれまもなく還暦です。

山崎監督との関係について教えてください。

僕らが高校三年生の時、自分が剣道部で最後の県大会で負けて、暇になったので漫画研究部に顔出してました。そこに山崎がいて、その年漫研が初めてアニメーションを作って縣陵祭で上映しようとしてたので、その手伝いで一緒に縣陵祭に向けて製作をしたりして仲良くなりました。。

木下さんと山崎監督は左上の方に…

その当時のアニメは、セル画を一枚一枚手書きして手塗りして、山崎の機材でコマ撮りして30秒くらいのアニメを完成させ、縣陵祭で上映しました。

上映といっても、教室を一つ借りて、そこを暗くして来てくれたみんなに見てもらう感じですね。

ストーリーはどんな感じでしたか?

ロケットが飛び上がって、爆発して終わりだったような気がします。30秒ですから

初めてのアニメーションですよね。

漫画研究部

漫研としては初めてだったけど、山崎にとっても初めてだったんじゃないかな。
彼が中学生の時に、8㎜のショートフィルムとっていたけど、アニメは初めてだったと思います。

もちろんカラーですよね

カラーでした。一枚一枚セルに色を塗ってましたしね。その当時だし、奥行きなんてないぺら画のセルを一枚ずつ撮影して、パラパラ漫画のような感じでアニメーション動画にしていました。大変でしたね

それはぜひ見てみたいですね。アニメのフィルムはどこに行ったかわかりませんか?

年一回発行の漫研の部誌が第一号がうちらの学年の時で、それからずーっと漫研が続いているはずだから、部室とかに残っているかもしれない。
それか山崎が持ち帰っているかも知れないね。

実印・ゴム印・銀行員 はんこの事なら
有限会社木下製印社

後半へつづく

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